寝てる場合じゃない

 仕事関係なんですが、他人様(ひとさま)の前でお話をする機会をいただきました。100人くらいだと思っていた参加者数が200人にもなってしまい、軽い気持ちで引き受けてしまったことを後悔しました。軽い気持ち‥‥ではないんだけど。
 初夏から断続的にその準備−原稿書き−をすすめてきたんですが、元になった原稿、集録に載せる原稿、しゃべり用の原稿など、何度となく書き換えるようなことをしてきたから、自分の中では何かイメージするモノができあがってしまって、逆に自分だけわかったような話になってしまったかもしれません。
 それがイメージするものならなおさら、プレゼンテーションソフトでも使い、色や形に頼って伝えればよかったかも‥‥と振り返ったりもします。ただ、そこに書いてあることと同じことをわざわざ画面に映し出す必要はないわけで、だったらレジュメ程度にすれば紙の無駄にはなりません。後で読み返すのには印刷されたものがあった方が嬉しいけれど、必要ならWeb上に載せておけば済むことだし‥‥。
 ただ、最近は「見る」ことが多くて、聞いたり読んだりして理解することが減ってきたと思います。そういう意味ではまぁ悪くもなかったかと思うのですが、さらに「書く」ことで理解は深まります。ということは、大事なところは線で囲んだりゴシック体にしたりアンダーラインを引いたりするのではなくて、(     )みたいに空欄にしておいて書き込めるようにしておく方が親切なのかもと思うのです。聞き逃すまいと思うし、完成させなきゃと思うし、すると寝てる場合じゃなくなるし。
 いや、寝てる人がいたということではなくて、理解してもらうための方法として考えるとね。案外おもしろいかも。