燃え尽き症候群

 例えばの話だけど、ホームページを開設して、掲示板を設置して、メーリングリストを設定して、そうするとちょっとした組織のインターネットインフラはできてしまう。もちろんそのための作業は想像以上にたいへんだし、それ自体が手弁当であったりすることも少なくなくて、相応の区切りがつくとそりゃぁホッとする。
 さらにいずれも機能し、多少なりともコンテンツが増えてくると、まぁけっこうな充実感もある。昨日も書いたけど、それはささやかながらもヨロコビだったりするわけだ。そこまで頑張ってきた自分を自分でほめてあげたいくらいだ。
 その小さな一瞬の客観性が、全く別のところに目を向けさせることがある。それまでムキになってきたそこから自分をずっと遠ざけてしまう。あれって何だったんだろう‥‥。あんなに頑張ってきた自分なんだけど‥‥。なんか、もう、終わっちゃったな‥‥。なんてね。
 燃え尽き症候群っていうのはけっこうある。最近では高校野球の追っかけがそうだった。思ってた以上に支障があった。が、2カ月も過ぎて次代の活躍ぶりとか見ながらもそこに一線を引くことで我に返った。改めてそんな仲間が集まって飲んでみんなで断ち切ることができたが、それはそれで次の楽しみができたからかもしれない。
 息子もようやく無気力状態からは脱出したようだ。ボーッとしながらプレステなどやっていたが、最近は熱意を持ってやっている。じゃなくて、休みの日に仲間と連れだって野球に行ったりするようになった。っていうか、進路のこと考えろよなぁ。
 また自分のことになるが、冒頭に書いたホームページだのメーリングリストだのの管理も、実はある時期から全く受け付けなくなったのだ。自分の意識の中から完全に吹っ飛んでしまって、今だから話すが「これはこうで」「何がどうなったから」「それをこうして」「何をどうする」という起承転結な一連のプロセスを、自分の中で処理できなかったのである。
 忙しさというのはもちろんあった。単純に現実逃避だったかもしれない。が、「もういいや」という気持ちも強くて、なんか燃え尽き症候群かもなぁ‥‥なんて気がしていた。
 約半年が経過し、ごく普通に今の状態を見ることができるようになって、少し頑張ろうかと思うようになった。結局はまた同じことをするようになったのだけれど、時間が空いたためかまるで別のことをやろうとしているようで、けっこう新鮮である。
 集中すれば集中するほど、人はかなり閉鎖的になる。行動範囲も内容もごく狭くなってしまうものだが、そこに気付くからグッタリしてしまうのだろう。目標さえ見失う。いろんな人がいる、いろんな世界がある、いろんな考え方がある、そういうことを時間の経過とともに感じるようになると、次の行動は自然と生まれてくるだろう。根が嫌いじゃないから、きっとまた熱中するだろうし、しかも元々趣味は趣味だからまた同じようなことに熱中してしまうものだ。
 とは言え、世界も考えも変わってくる。人付き合いさえも、長かったり短かったりがあるように、そういう中で何でも淘汰されていくものだ。浮いたり沈んだり、盛り上がったり落ち込んだり、まぁそれは、燃え尽き症候群なんて、特別なことではなくて当たり前のことなのだ。
 ちょっと時間をおいて、またその活躍ぶりなど見せてほしいものである。って誰に言っとんねん!しかも長いし‥‥。

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[コメント]

▼ねこまる wrote:
もらも燃え尽きたわけじゃにゃいんだが
ネットから引退して久しい。
09/30/04 14:40:11