親父の一番長い日 2・緊張感

 ほどなく結婚式の前の両家親族紹介に臨んだ。私はスマホにメモっておいたそれをチラ見しながら始めることにした。
 ほとんどの人が初対面だから、めでたい日とは言えどこか重苦しい空気に包まれるものだ。
 だから、少し気が楽になった私は冒頭「かしこまらずにサラッとすすめますよ」とお断りした。ホッとした雰囲気が漂ったのがわかりまた安心する。

 新郎の姉夫婦をまず紹介した。続柄と名前だけだった。が、一呼吸置いたところで「一応新婚ホヤホヤです」と口をついて出てしまったのだ。和んだ。
 これだと思ってしまい、あとはもうその体を崩してはなるまいと、住まいはどこだとか、実は料理上手だとか、甥には現在募集中だとか、余計な一言を付け足してすすめ、滞ることなく最後は自分たち夫婦で締めくくった。
 先方はもちろんそんな一言は付けないんだけど、途中で親戚の名前をど忘れしたりしてももうそういう空気だから、オッケーオッケーで終えることができて良かった。
 これなら、この調子なら今日一日どうってことないと思った。挙式に先立って参列者を迎え入れるときも、その後テラスでセレモニーが行われていても、披露宴の来賓あいさつを起立して拝聴しているときだって、緊張なんか全く感じなかった。

 しかしだ。「さぁここからはしばらく料理を楽しみながらご歓談ください」というアナウンスが流れた途端、私は妙にそわそわし始めるのだった。
 そうだ、これがあったんだった‥‥。忘れていたのは「ビールとか注いでテーブルを回ってくること」だ。一人ひとりに感謝の気持ちを込めてあいさつ方々お礼を言ってくること、それは必要だと思ってはいるんだけど、どうもその注いで回るということが性に合わないのだ。数人でテーブルを囲むような酒席ならもう率先してはいどうぞするんだけど、こんな大勢いて、別のテーブルの温度や色にスーッと入り込む・溶け込むのが苦手なもんだから、なかなか足が向かないのである。職場の歓迎会や送別会だってそうだ。混んでると思ったら注ぎに行かない。そういうわけで大人数のときは、ほとんど自席で腰を落ち着け動かないで飲んでいる。
 同じテーブルのうちにビールが無くなったらどうしようとか心配で心配でたまらんのだ。全員揃っていればいいけどトイレだ喫煙だ別のテーブル行ってるだ、そういう空席の人のところにもう一度回るのかよとか考えるともう面倒にさえなってくるのだ。
 それ以前にだ、オレの挨拶はいつなのか、それがわからなくて不安‥‥。テーブル回ってる間に「お父さんお父さん‥‥」とアナウンスなんかされたらかっこわりーじゃない。私はその瞬間をきちんと迎えたいのだ。だから‥‥。

 ほら行かなくちゃと母ちゃんに諭されて両手にビール瓶持って、まずは主賓のところへ。最初はいいのよ。まだみんないて、食べ始めで静かだから。5人ほど短く談笑し、ではまたよろしくと次のテーブルへ。はい、すでに空席ばかり。もう出来上がってる風なテンション、逆に何で今ひとり静かに佇むモード?、そういう温度差への対応が私は大の苦手なのだ。
 そして今度は「そろそろお色直しも‥‥」などと着席を促される。ざっと全部終わらせられない。また改めて、ビールなくなってまた改めて、そうしている間に披露宴全体、何がどうだったんだか新郎の父はほとんど把握してなかったのである。
 してなくても、自分としてはおおむね回ったと思うし、っていうかもう回ってる雰囲気じゃないし、あぁこれはだいたい終わったなと、そう思ったら緊張感またスーーーっと消えてしまったと。

 やっぱり挨拶は最後か‥‥なんて思いながら、腹が減ったような気がして、みんなうまいうまいと食べていたイクラ茶漬けを私もパクついた。
 二次会で、料理とかほとんど食べられずにおなか空いたでしょうと、みんな気遣ってくれたけど、改めて、改めてとテーブル回りしてる合間合間に、入れ替わっている料理を手早く口に放り込んで、ビールをガブ飲みしてはいたの。肉もガッツリ食ってたの。
 それにしても、緊張してるっていうのは、全然酔わないもんなんだなぁ。実は腹減ってなかったからだな。これなら挨拶は大丈夫、酔ってないもん。