3.11・桃始笑

 晴れたり雨が降ったり、暖かだと思うと一気に寒くなったり、その変化とともに季節がどんどん替わっていく感じです。桃の節句から十日あまり、桃始笑(もも はじめて さく)となりました。

 残念ながら桃の花はまだまだ先の話。つぼみが少し膨らんだのかなぁ‥‥くらいですが、先週書いたように梅の花はほころび始め水仙も間もなくといったところ。
 聞き間違いでなければ「ホーホホ、ケキョ‥‥」なんて鳴き声じゃないのかなぁ。春告鳥がやってきたような気もしましたが、そんなところにも春らしさを感じています。

 そういえばネコヤナギを撮ってなかったと思って、いつものその場所に行ってみたのですが、朝のうちはちょっと曇っていて、ちょっと明るく撮ったつもりが春らしさよりも冬っぽく撮れてしまったような‥‥まぁそれも季節の移ろいかなと思います。
 晴れの予報だったけれどさほど日は差さず、気温も思ったほど上がらない。何気に足元を見ればガッツリ霜柱が。まだまだ冬も感じる東北です。

 彩度の低い寒々とした冬の森や林ばかり見ていましたが、ネコヤナギもそうですし、モミジもそうですし、ハナミズキも、つぼみも枝も赤味がグッと増して、こうした色も春を、始まりを感じさせてくれるんですよね。改めて見てみるとずいぶん様子が変わってきていました。
 今日は中学校の卒業式でしたが、終わりではなく始まりなんだなぁと思います。

 3.11、7年前のその日も卒業式でした。それぞれが新たなスタートだと思って送り出したのも束の間、午後にはもうこの世も終わりかと思うほどのできごとだったわけです。当時の話はここ数日いろいろやっているし、ここではあえて書きません。

 その後、震災前からの計画どおり、中学校は統合して新しい校舎になっています。旧い校舎はそれぞれいろいろ利用されていますが、メインのここは老朽化もあって活用されずにいましたが、数年かけての解体工事が間もなく終わりを迎えるところです。
 いろいろな思いがあって、ウォーキングのときに何となく眺めたりしていましたが、もう間もなく終わりだなと思って、今回は少し近寄ってみました。ここは内側から見た昇降口あたり。ほんとにもう少しです。ちょっと淋しい‥‥。
 ただね、何となく原発のあの瓦礫の様子と重なってしまうというか。まぁここは普通の解体工事ですが、それでも3年もかかるわけで、うん、こうして片付くまであっちは何十年かかるのだろうと思うと、ほんとうに気の遠くなる話です。いや、10年なんてあっという間だとも思うんですが、例えば今春大学を卒業して仕事に就くお子さん、30年後は五十代半ばですよ。そのお父さんお母さん、八十代くらいですよ。その頃ほんとに福島第一原発はどうなっていることやら‥‥。
 なかなか別には考えられないのですが、でも復興を加速させるのは、どうやってくれるのかを待つことではなく、やっぱり自ら踏み出す、動き出すことでしかないように思います。

 被災地域の方が4月から近所にお住まいになるということで、3.11の日に隣組の挨拶回りをなさいました。リフォームはもうだいぶ前に終わっていて、いつから住むんだろうと思っていたところでした。
 3.11の日に‥‥たまたまなのかも知れませんが、でもやっぱり節目にするという思いがあるんだろうなぁと自分は思いました。我々は知り得ないいろんな背景がもちろんあるとも思うのですが、きっと前向きに、新しい始まりの一歩を踏み出されたのでしょうから、もちろん温かく迎え入れなければと思います。
 ただこの隣組は飲みますからそれに耐えられるかどうか‥‥。(^^;

 さてさて、ウォーキングを終えて帰って手を洗い、何気に目のあたりを触った瞬間「あ‥‥」花粉症のスイッチ入った感。思いっきり顔を洗ってみるのですが、スイッチが入ってしまうともうなぁ‥‥。(T-T)
 その後は何となく鼻もぶすぶす‥‥。前日の定期通院で「花粉症ですが、今のところ全く症状ありませんし、毎年少しずつ弱まっているような気がするんです」なんて言ったばかりなのに。まぁさほど悪化の気配もないのですが。

 花粉症もそうだけど、ずいぶん前から寒暖差アレルギーも感じているものだから、今はとにかく熱いもの食って‥‥と、大好きなラーメンを食べる 3.11。舞ドラのミソタンメンに辛子ニンニク入れて。孫も生まれてすこぶる元気に育ってる。夏には二人目の孫。こんなシアワセなことはないなぁ。
 ないけれど、世の中への不満はやっぱりあるし、できればこの世も終わりかという恐怖心など思い出したくもない。
 ないけれど、結局前にすすむのは自分だから、人に引っ張られたり、人に押されたり、そういうのではなくて、それが始まりだと思って自分ですすまなくちゃと思う日なのでした。