最後の写真

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 今日はどうしても写真を撮りたかった。1年間地域のあれこれを撮ってきたんだけど、とりあえず今日がその最終日だから。いつもより早起きして散歩がてら撮影。カルガモは親子になっていた。天気が良くてこのまま休んでしまおうかと思ったがそうもいかず、あまり遅くならないうちに切り上げて夕方また撮影。結局それほどは撮れなかった。
 今もって全くの素人ではあるが、1年前の写真とは趣もすっかり変わったような気がする。そうは言っても毎回ズームを効かして花や植物などを撮ってるだけ。結局変わり映えしてないじゃないかと、少々残念な気もする。
 今や写真はカメラ次第だなと思う。写すんではなく「写るんです」から。なるほどそういう意味だったのかと今になってわかった。インスタントカメラはさておきちょっとしたデジタルカメラなら、さっと構えてシャッターを押せば、フルオートでぶれない画像が精細に記録されるのだ。それはやっぱりカメラに「写る」ものであって、「写す」こととは微妙に違うような気がしてきた。
 最近は写真をたくさん紹介しているblogも少なくないが、ピントがきっちり合った写真に出くわすと「はぁ‥‥」と感心する。が、じょうずだなという感情以上のものがあまりないことに最近気付いた。もちろん明るいレンズを付けた高性能デジタル一眼だけじゃなくて腕も伴ってるからこそなんだろうけれど、それは「写った」ものでしかないように感じてしまうのだ。でもそうではなくて何かグッと来るような写真っていうのはなるほど「写す」という気持ちが表れていると感じる。光と陰、コントラスト、色合い、構図、そういうものはズームとかピントとかあまり関係なくて、一瞬の感性をいかにその写真に込められるかどうかなんだろうなぁと思ったりする。
 そうは思っても、露出だシャッタースピードだという基本的なところさえ未だ身に付かず、カメラだけに頼ってしまっている。自分なりにこの写真はいいなぁと思っても、しっかり「写した」写真を見せられてしまうと、いかに単調でいかに深みがないかを痛感させられてしまう。

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 ド素人がコンパクトデジカメを持って1年。そんな薄っぺらな写真でも、写真を撮ることの愉しさを覚え、そういう違いを知ることができただけで充分満足だ。iPodがウォーキングに連れ出してくれたことがあったけれど、FZ5はその上に自然や地域に目を向けさせてもくれた。ほんとうに楽しい1年だった。最初に撮った写真は山頂から望む街の様子。その後の広がりもイメージしたつもりだった。最後は1日の終わりを告げる夕陽にした。
 もちろん今日はただの区切りであって、これで終わるわけじゃない。陽がまた昇るように、今度は個人的にまたどんどん「写し」ていい作品を作ってみたいと思っている。カメラのせいにするつもりはこれっぽちもないけれど、でもやっぱりズームやフォーカスをマニュアルで高速にできたらいいのにと思うことは少なくない。だけどやっぱり一眼レフとは思わない‥‥。今さらながらにわかにFZ30がほしくなったりしている。

旧暦端午節

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 さて、今日は旧暦で端午の節句。ショウブのつもりで撮ったんですがどうやらアヤメのようです。花弁の根元の方にある虎斑模様が「文目」だとか。これに対してカキツバタは虎斑模様ではなく黄色や白の斑紋程度。アヤメは乾いた土に、カキツバタは水辺に咲いているとも。そして肝心のショウブだけれど、一般に「ハナショウブ」と勘違いしているらしい。ハナショウブは水辺に群生し、花が大振りで紫や白が多いそうです。黄色のものもあります。アヤメもカキツバタもハナショウブも、アヤメ科アヤメ属。
 ところが、ショウブというのは花がぜんぜん違います。花と言うよりガマの穂の小さいようなものなんですね。沼や池などの湿地に群生するサトイモ科ショウブ属なのでぜんぜん違います。そういえば小さい頃端午の節句に見たものは花がなかったっけ‥‥。