仕事納め

111228

 この期に及んで怒涛のメール8連発。全て大量の添付ファイルあり。コンピュータのせいばかりではないんだろうけれど、とかく末端ばかりが苦労するネットワーク時代でありますなぁ‥‥。
 昨日は仕事納め。すでに半分くらいは休暇に入っていますが、残っているみんなに年越しそばでも食べてもらおうと、今年も早朝よりそばを打ちました。つゆは前日のうちに仕込んでおき、ネギは出がけに刻んで、器から何から全部持って出かけるという‥‥、まぁ好きじゃないとやらないわな普通‥‥。プリッとしたワサビの形はご愛嬌。

 職場の暑気払いとか忘年会とか、行事などの打ち上げ、あるいは歓送迎会だったり、そういう機会はそれなりにあっていろんな話はしているんですが、1年の最後にこんなモンが登場して少しばかり腹が満たされると、また違った話が出るんですね。
 毎年似たようなことを言ってるんですが、パーッとやりましょう的ではなくて、ウチではこうだとか我が家はどうだとか、また別の角度からお互いを見られるような気がします。それぞれの温かさがしみじみ伝わってくる感じ。
 それがひとつでもふたつでも、来年はこうしようって仕事につなげて考えられる、トリガーみたいな場でもあるような気がするから、味はともかく、年越しそば準備してきてよかったなぁ‥‥って思うんです。

 究極の選択みたいにゼロイチで考えちゃうからか、損か得かみたいな意識が強まっているような気がします。何だかギスギスしてしまう。この震災や事故によって「絆」の大切さを身をもって再認識しましたが、世の中は損得じゃなく正しく生きることだなと感じた年でもありました。
 正しいことが損をする時代であってはならないんですよね。正しくそして楽しく生きることが本来の人のあり方だもの。それが「得」かどうかはわからないけど、でもそういうことがつまり「徳」ってことなんじゃないかと思います。
 ゼロイチはつまりそのあたりを自制できるかどうか、ニッポン人の奥ゆかしさということにつながるのかなという気もします。あの惨事でも暴動が起きることなく冷静に行動できるニッポン人の姿に、諸外国の方々が驚いたと言いますよね。
 震災復興はもちろん日本そのものの復興をすすめていくうえで、そうした日本のすばらしさを今一度みんなで考えてみるときだと思う次第です。

 という意味不明な話で申し訳ありませんが、とりあえず hiromaru blog もこのへんで仕事納めといたします。残りあと数日、例年どおりバタバタしながらもたぶん同じようなペースで更新していくとは思いますが、皆さま良いお年をお迎えください。来年もよろしくね。
 最後に、再三のお願いで甚だ申し訳ないのですが、フクシマの状況をご理解ください。残念ながらこれは何もおさまっていない‥‥。見えるモノ・見えないモノがあります。賠償が始まりいろんな意味で特に心の変容は今後要注意だと感じています。そしてフクシマの復興にどうか引き続き温かい心の支援をよろしくお願いします。