命日に

120509

 今日は父の命日。でも都合があって行けないから、墓参りなどは先日の法事で勘弁してもらうことにしました。ちょうど連休明けのこの時期はその前後も含めていろいろ予定を立てるものだから、忘れようったって忘れられなかったりもするんです。
 でもあれからもう40年以上も経ってしまったんだなぁ。だものオレだってそろそろ親離れしなくちゃいけないんじゃないか‥‥なんて思うこともあるんだよね。

 一昨年母を亡くしたときに、もう少し親孝行すればよかったなぁなんて思いました。昔から、そう思ったときにはもう親はいないものなんだよって言われるけど、自分としてはね、やっぱり心残りなわけですよ‥‥。
 でもね、そういう思いってつまり親への感謝でありそれ自体が親孝行なんじゃないのかなぁ、それで充分なんじゃないのかなぁっても思うのです。

 お恥ずかしい話、自分は父が亡くなったときに「親孝行しておくべきだった」なんてほとんど思わなかったような気がします。鼻を垂らしていた小学校5年生、そんなこと思うはずがないですよ‥‥。
 オレら兄弟は父に何もしてあげられなかった‥‥のか、そうではないと自分は思っています。いや、特別なことは何もやっていない、それは事実なんですがね。
 家族の一員として手伝いもしたし、それらも含めた普通の生活をし当たり前に過ごしていました。今この時代にそのことを思うと、改めて親の立場で考えてみると、たいした迷惑もかけずに普通の生活をしていたことがどれほど孝行だったか‥‥と感じるのです。

 むしろ自分は父ちゃんを恨んだりもしました。一番は進路選択のことです。じいちゃんばあちゃんかあちゃんあんちゃんそして弟も、みんな心配し協力してくれたから、自分がそう思う道を選んで進んだんだけど、少し後になってから、別の道もあったんじゃないかって感じたり考えたり悩んだりするとね、何で自分は「父親」の意見やアドバイスをもらえなかったのかって、そのことをものすごく悲観しちゃったりしたんです。悲劇のヒーローみたく‥‥。

 でも逆に言えば、父ちゃんはほんとうにくやしかったでしょう。いっしょにキャッチボールすることもなく、陸上競技大会の追っかけもできず、息子の運転でドライブすることもなく、進路選択にも関われなかった。何よりも普通の生活をして我が子の成長を見届けることさえできない、それがどれほど悲しいことか、つらいことか‥‥。

 自分だったら‥‥特別なことはしてもらわなくても、就職、いや結婚、いや孫の顔を見ることができたら、それで充分かなと思います。だからそういう日が来るまではお互い普通に生活してさえいれば、それが幸せのような気がするんです。
 父ちゃんはそれができなかった‥‥。だからその分自分が生きなきゃと思うんですね。引き続き普通に、そして感謝を込めて。もっと孝行すればよかった‥‥ではなくて、これからが孝行なんだろうなぁって‥‥。かっこいいこと言えばね。