おつかれさま‥‥ごちそうさま

120706

 親しい知人が突然亡くなりました。
 こんな機会でもないとなかなか顔を合わせることもない旧友と連絡を取り、いっしょに告別式に臨み、しんみりとお昼を食べてきました‥‥。
 自分ら一般ピーポーにはわからないけれど、ここまでの紆余曲折というか、いやむしろまっしぐらに歩んで来たがためのさまざまな経歴などを振り返るに、なぜそんなに急ぐ必要があったのかと、ただただ残念でなりません。あの事故さえなければ‥‥そう思わざるを得ません。

 彼はようやく校長として小さな中学校に赴き、初めての卒業生を送り出した直後にあの大地震・大事故が起きたのでした。さぁ2年目、これからという矢先‥‥。
 原発事故による避難対象地域でムラはもうバラバラになりました。それでもひとつになってできるだけあの頃のような生活を送ろうと、校長として陣頭指揮を執り自らも県内各地を歩いて協力を求め続けていたのです。
 まじめで誠実な彼の人柄、多少の無理は何事もなかったような笑顔でいつも隠していたんだろうなぁと思います。ストレスも相当なものだったでしょう。それでも彼らしいアイディアを生かし学校再開の夢を実現しようと必死だったんだろうなぁ‥‥。
 立場を変えていつかまたいっしょに仕事をしてみたいもんだと思ってたんだけど、残念ながら叶うことはありません‥‥。

 約1年前、コンビニで偶然彼と会って少しだけ会話をしたことがありました。タバコはやめたような記憶だったけど、缶コーヒー飲みながら一服つけていたんです。ストレスが溜まってるんだなぁと思いそのことにはあえて触れなかったんだけど、その日も日曜日だってのにあちこち回る途中だというような話をしていたっけ。手帳には「だいぶお疲れの様子‥‥」と書いてありました。仮設住宅建設がすすみこちらの方へ戻ってくるようにはなったんだけど、学校に関しては自分が思っているようにはならなくて、それがちょっとくやしそうだった‥‥って別の手帳に書いてあった。
 正直なところ、お互いの近況ったって原発事故でたいへんだという話しか出てこないのはわかってるし、ましてや飲もうぜなんてことは言い出せるはずもなく、困ったもんだねぇ‥‥くらいのごくあっさりした会話で終わってしまったことがオレとしてはホント心残り‥‥。でも今は、あれもこれもホントにもうおつかれさま‥‥ただそれだけです。

 友人と3人、異動でバラバラになるとき、そのうちまた飲もうよなんて言ってたんだけど、最近の年賀状はお互いに「いつか飲みたいもんですね」になってしまっていました。
 まぁこれもさ、久しぶりにオレたちを会わせてくれたことだからさ、式が終わったら三春でなつかしいお昼でも食べようよ。なんてことになったわけです。
 あの頃働いていた地域はすっかり変わってしまいました。友人を乗せてS字を描くようにその地域のおおざっぱなところをドライブがてら案内し、とつとつと思い出話などしながら町に帰ってきました。
 なつかしいと言えばひろ美の味噌タンメンだろうと思っていたのですが、彼の思い出は意外にも「もやしそば」なんだとのこと。もやしたっぷりのあんかけ醤油ラーメン、確かにそれもありだったなぁ‥‥などと話しているうちに到着したんだけど、わずかに遅くてひろ美はお昼休みに入ってしまっていました‥‥残念。
 次のなつかしいメニューは三條屋の中華丼。速攻移動して無事入店できました。自分は定番のカラシタンメン。二人でそんな遅い昼飯を食べながら各々に当時のあれこれを思い描きながら汗をかきながら‥‥しばし無言で一気に食べました。久しぶりの中華丼はどうだった? オレは‥‥実はアツアツのキャベツが上あごにぺたっと引っ付いてしまい軽くヤケドしてました。まぁよくあることさ。ごちそうさま。

 そのあとの予定などなければもうビールなど飲んであの頃のように・あの頃以上に思いっきりグダグダしたかった。
 彼だったら何を注文したんだろう。できれば3人で食べたかったな。「いつか飲みたいもんですね」‥‥3人が天国で出会うまでは無理だな‥‥。合掌。