父の日

130617

 娘は焼酎を買ってくれました。息子はビールを買ってくれました。かあちゃんはカツオの刺身を買ってくれました。薔薇の花を贈るとか、ブランドもののネクタイを贈るとか、バリエーションはいろいろだろうけど、オレはオレにピッタリのヤツでホントうれしいね‥‥。
 どうせ同じ麦焼酎なら神の河がよかったとか、どうせならプレミアムじゃなくて普通にモルツでよかったとか、どうせ息子も食べるんだから一人前じゃなくて二人前にすればよかったんじゃね?とか、そんなことを言ったらキリがない。

 実を言うと母の日は宙に浮いたままだ。実家の田植えとタイムリミットが迫っていた資料作成とでいっぱいだったから翌週にでもと思っていたのに、結局あれから1カ月が過ぎても忘れたまんまだった‥‥。あぁひどいオヤジ‥‥。
 でもよくよく考えれば、母の日であって妻の日ではないんだから、父の日であって夫の日でもないんだし、別にもうそれはそれでいいんじゃね?なんて片付けてしまいかねないオレ‥‥。

 自分が小さいとき‥‥ってもう40年も前のことだけど (^^;;;‥‥あの頃って父の日、母の日なんてそんなに一般的じゃなかったよね。自分とこだけだったのかなぁ。
 モノゴコロついた頃、母の日ってオヤジの命日の直後になるから、何となくやり過ごしていたように思う。もちろん父の日なんかオレらには関係のないことだった。そう考えると一般的でなかったのはやっぱり自分とこだけの話だったのか‥‥。
 自分が社会人になってからというか、自分が父親になってから、母の日には何かプレゼントなんかしたりするようになった。じゃぁ自分の兄さんは、弟は何かしているのかと考えると、そこで何か大きな差がついたりするのも好まなくて、こそっとあげたり、ホントに気持ち程度のものにしたり、決して大げさにはしなかった‥‥というのが正直な話だ。案外自分が最も安く済ませていたのかもしれない。
 そんなチマチマやってないで、いずれ兄弟3人で・3家族みんなで温泉でもいこうか‥‥なんて話は、母の日だったか、敬老の日だったか、母の誕生日だったか、もう忘れてしまったけれど、どうせならみんなでパーッとやろうという話にやがてなっていったのだった。が、残念ながらその夢は叶わず。孝行しようと思うときに親はもういないものだ‥‥。

 それが何だか今でも心残りなんだけど、この歳になって思うのは、そりゃぁ何かをしてもらうのはうれしいけれど、何かをしてもらわなくて残念だったなんてことはまず考えないな、っていうこと。親子ゲンカしようが夫婦ゲンカしようが、それを引きずることなんかないし、みんな健康で食卓を囲み一汁一菜の食事を笑いながら食べられれば、それが一番のシアワセのような気がする。

 親に対してオレがほんとうに申し訳ないと思ったのは入院したときだった。好きでかかった病気じゃないんだもんどうしようもないんだけど、手術のあとで兄夫婦が身体の少々不自由な母をわざわざ連れてきてくれたときは、もうどうしようもなかった。長くなるとイヤだから大した話もせず、じゃぁ帰ろうか‥‥という言葉をじっと待ってた。
 何でだかわからないんだけど、親にもらった身体を命を危うく絶やしてしまうところだったと考えたのかもしれないなぁ。やっぱり大切なのは健康なんだと思うのだ。

 その日言われたことさえ守れずあっさりリバウンドしてしまうようなヤツが「健康」なんて軽々しく言うのも何だけど、とにかく健康こそが一番の贈り物なのだ。健康でないと焼酎もビールも飲めない。刺身も食えない。
 何をもって健康かということをその頃ずいぶん考えたりもした。病気を抱えていると健康ではないという話ではない。それはそれ、でもしっかり対峙して前向きに生きることができれば、それこそ健康だろうと思うのだ。

 父は若くしてこの世を去った。いつしか自分はその年齢まで生きなければと思うようになった。たぶん兄さんも同じようなことを言ってたような気がする。弟もきっとそうだっただろう。その歳まで生きたことが、まず最初の父の日のプレゼントだったかも知れない。
 次は、その倍の歳までだろうと思う。人生八十年の時代だからそれくらいの目標は持たないとなぁ。父と酒を飲むことはできなかったけれど、兄弟みんながその目標をクリアして、その報告がてら3人で飲むことができたらいいなぁ。
 まだまだ長いようで短いような、短いようで長いような。だからこそ、のんびりじっくりしっかり「漸進」していぐべなぁ。