3.11 震災から1年

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 その日が近くなったらあれこれアップしていこうと思って、1カ月くらい前からいろんな思いを iPhone にチマチマと入力しておきました。が、その日が近づくに連れてその思いなどどうでもよくなってくる感があり、ここしばらくブログそのものに力が入りませんでした。
 天気が良くないという予報でしたが朝は意外なほどよく晴れていて、だからウォーキングにはもってこい。あえて普通に過ごそうと思っていたはずなのに、そのウォーキングさえ気がすすみません。だから写真も撮らない‥‥。

 何がどう変わったか、少しは安心できるようになったか、残念ながら自分の思いは逆になっています。さすけねぇと強がってはみるけれど、見えない恐怖がどんどん迫ってくるような、次第に何かに追い詰められていくような気がしてならないのです。考えれば考えるほど不安になるから、だから考えたくないというのが正直な思いです。これが岩手や宮城との大きな違いでしょう。

 3.11が近づくに連れ、さぁその日がやってくるぞカウントダウンみたいな、ややもすると待ってましたみたいな妙な盛り上がりに感じてしまい、自分はこの日がいったい何なのか疑問に感じたりもしてきました。
 生々しい映像もいろいろ流れてくることでしょう。あの日の出来事を我々は忘れてはならないけれど、あの日の思い出をアルバムやビデオで振り返るみたいなただそれだけになってしまっては何の意味もありません。イベントも然りです。

 3.11、然るべき集会に参加してみんなと行動を共にし自分たちの切実な声を届ける、それはとても大切なことだなぁと思います。いつもの仲間だけじゃなく福島が全国がひとつになるって、やっぱりすごいことだもの。
 そう思うんだから、普通だったら当たり前のように参加するんだけど、どうも今回ばかりは足が向かなかった、その気になれなかった。何でだろ、何でだろ、でもいいんだ、オレはオレだから。みんなといっしょに行動しなくたって、オレはオレなりに考えているんだから‥‥。
 もっと大切なことがあるように思ったんです。あえてどこにも出かけずに、家族そろって家にいようと思ったんです。テレビ番組の内容はおおむねこんな感じかなと予想できるんだけど、ベタにそれを見ながら家族みんなで過ごそうと思ったんです。結局のところ最も大切なのは家族だから、こんな特別な日こそ家族みんなで過ごそうと思ったんです。結果的に子どもたちはそれぞれの予定があって出かけてしまったんですけどね。
 まぁその、イベントや集会などに出かけなくたって、家で寝転がっていたって、テレビを見なくたって、オレの思いは変わらないです。自分ができることしかできないんだし‥‥。

 そんな若干へそ曲がりな思いでおりましたところ、昨日のほぼ日のコラムにイトイさんはこんなことをお書きになっていました。
 (日替わりでなくなってしまうコラムなので本文をそのままコピペ引用します。)

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■ほぼ日刊イトイ新聞 3/10SAT

今日のダーリン

・3月10日という日付を意識すると、
 ついつい、なにを書こうかと手が止まってしまいます。
 テレビや、新聞、雑誌、ネットの上には、
 当然のように1年前のあの日に関連した情報が集中し、
 正直なところ、あれほど毎日考えていたことなのに、
 ちょっと逃げたいくらいの気持ちになっています。

 そんなにいっぺんに見たり感じたり考えたりできないよ。
 送り手のほうは、力のかぎり、
 練りに練ってつくった企画であり、番組でしょうが、
 うん、そう、とてもぜんぶは飲みこめない。
 
・だいたい、ぼくらが震災についてやってきたことなんて、
 「たいしたことはできない」「たいしたことないやつ」
 としての、のろのろした歩みだったわけでして、
 だからこそ、投げ出したり忘れたりせずにいられました。
 しかし、3月11日が近くなってくると、
 もっと「本格的」で「激しい声」が渦巻いてくるので、
 「受け手」として苦しくなってきています。
 
・「なんでもない日、おめでとう」という気持ちで、
 できる手伝いをやっていくことなら、
 なんとか工夫したり、ちょっと意気ごんだりで、
 それなりに長く続けていけると思います。
 ただ、ほんとうに「たいしたことはできない」んです。

 仮に(被災の現地にいようが、国会にいようが)、
 じぶんが当事者としてなにができただろうと想像したら、
 いまごろ、きっと責め立てられているでしょうね。
 じぶんが修練してきたことや、経験を積んできたことは、
 あの日や、翌日や、その週には、
 まったく役に立たないことばかりだったと思います。
 
 ただ、こういう、たいがい無力な人間にでも、
 「できること」はあるんだと思っています。
 じっくりじっくり「たいしたことないこと」を、
 飽きず忘れずに長いこと溜めていくことです。
 できるだけ軽やかに、笑顔さえも仕事のうちと思って、
 「やればだれでもできること」を、考えていきます。
 今日と明日は、テレビ画面から離れようかなぁ‥‥。

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 自分の思いが正にこのことでした‥‥。
 そして「じっくりじっくり『たいしたことないこと』を、飽きず忘れずに長いこと溜めていくこと。できるだけ軽やかに、笑顔さえも仕事のうちと思って、『やればだれでもできること』を、考えていくこと。」だと思ったのです。

 買い物の車中、FMラジオで山下達郎さんの番組をちょっと聴きました。被災者からのお便りをずっと紹介しているんです。震災時のこと、今の思いや達郎さんの曲への思いなど、しんみり聴きながら達郎さんはどんなコメントをなさるのだろうと思っていたんですが、読み切ったその流れのまま「どうもありがとう」それだけだったんです。
 一瞬次のことばを待っていたのですが、短い感謝の言葉にそれこそいろんな思いが込められているんだなぁと思い、その潔さが逆にかっこいいなぁと思った次第です。あぁそうだ、オレがグダグダ言ったところで何も始まらねぇじゃねぇか‥‥。

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 ちまちま入力とは言えけっこうな期間なので、それなりのボリュームになっていたのです。放射線量、健康管理、復興状況、経済や政治に至るまで、そりゃぁいろいろあったんです。だから3回くらいに分けてエントリしようなんて思ってたんですが、このブログに来てまで震災・原発のこととなるとウンザリですよね‥‥。
 そんなわけで、今日のところはあえて大震災や原発事故に関する話はやめることにしました。みんなで力を合わせて今日だけじゃなく明日からもずっと、福島再興・福興のために、「さすけねこと」を飽きず忘れず長くやってぐべ。
 そして感謝を忘れないこと。ありがとう。ポポポポーンだ。

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 さてさて、昨年は三春・滝桜を訪れてくださる方がかなり減少しました。だいじょうぶですよ。さすけね。ぜひ桜を見に三春においでください。そんなポスターをこのたび町が作成しました。三春の桜は4月中旬が見頃となりそうです。
 「さすけね」のキャッチコピーは、何を隠そうウチのかあちゃんが書きました。配置バランスに微妙な不満は残らないでもないらしいですが、これってどの程度の範囲で掲示されるんでしょうかね。全国? ほぉついに全国デビューですか。
 かなりでっかいバージョンもあってそっちは字のバランスもいいらしいですが、たぶんそれはほとんどお目にかかれないものらしいです。このバージョンも含めて、もしお目に留まったらご報告ください。

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