阪神淡路大震災から17年経って

120117

 ずっと iPhone の標準「時計」アプリのアラーム機能で起きていたんだけれど、昨夜急に「入ってる音楽を再生できる目覚ましアプリあんじゃね?」なんて思い立ちインストール。
 特に最近はあまり楽曲を買うことがなくなってたいしたものは入ってないんですが、朝はこれ聴いて元気出してこうとお気に入りの曲を選択し、少しワクワクしながら床についたのでありました。
 「♪最寄り駅の改札抜ければいつもよりちょっと‥‥」ファンモンのヒーローが軽快に流れてる‥‥そんな勇敢じゃねぇけどもうそろそろ元気出して起きなくちゃなぁ‥‥と意を決してアラームを止めて、バードの顔に一瞬たじろぎつつ時刻を見る‥‥。
 それが自分の2012年1月17日、本日の朝・偶然にも 5時46分でした。

 その日自分は普通に仕事をしてたんだけど、会議から戻った校長がたいへんな事態だとあわててテレビをつけたので、居合わせた職員は何事かとぞろぞろ校長室に集まったのでした。映し出されている異様な風景はいったいどこの何なのか理解できなかったんだけど、恐怖感で背筋がぞっとするまま、その様子を茫然と見ているしかありませんでした。
 ほどなく兵庫の方で大地震が起きたのだと知るのですが、そんな光景見たことなかったから、まるで怪獣映画の格闘のあとみたいな何か特撮の現場でも見ているようで、容易にそれを現実と認識できるものではなかったっけ‥‥。
 倒壊したビルや崩れた高架橋、その端で間一髪止まったバス、あちこちから火の手が上がる惨状‥‥、我々は完全に言葉を失っていました。と同時に、大地震のイメージとして脳裏に焼き付いたのでした。
 ここからこの街が復興するっていつの話だろう、いったい何年かかるんだろう‥‥とても予想できるものではなかったんですが、兵庫は、阪神・淡路は、もうすっかり復興を遂げていたんですよね。すばらしいことだなと心から思っています。

 さて、2011年3月11日 14時46分の地震直後、自分は16年前のあのイメージがまざまざと蘇ってきました。が、その後テレビに映し出されるのは建物が激しく倒壊しているあの光景ではなくて、またしても見たこともなかった津波の脅威‥‥。今まさに大津波が押し寄せ人が街が襲われている生々しい現実は、ただただ胸の痛む思いでした。
 さらに追い打ちをかけてきた原発事故。ほんとうにもう終わりだなと思い覚悟を決めたんだけど、何だか悲しくて悲しくて、余震は恐くて恐くて、そして妙にくやしくて、逆にもう開き直ったような気もします。
 結局のところ、人は自然に太刀打ちできません。自然災害ですから誰のせいでもないけれど、その対策がお粗末だったというのは何とも‥‥まぁそれは置いといて。

 岩手や宮城は、まちをどのように再興していくか、新しいまちづくり構想を描いていると思います。いざ行かんゴールへ‥‥スタートすれば思ったより早いのかも。
 一方の福島は残念ながらこのありさまです。新しいまちづくりどころではなく、日々見えない敵と戦うお父さん、いや老若男女全県民が必死で頑張っています。が、まったく明かりの見えないトンネルをひたすらすすんでいるような、底がわからない池に沈んでいくような、ゼロのポイントが見つからない不安が慢性化しているような現実‥‥。
 それでも今年は何つったって「福興」だから、小さくファイティングポーズ取ってさ、涙もこらえてさ、大切な人もまちも守っていこうって、それぞれが人知れず戦ってるんだよね。そういう意味では岩手や宮城と何も変わらない。阪神・淡路に負けないように「福興」していかなくちゃと思うんです。

 明日の見えない福島の夜、でも振り返ると少なからず足跡はあるものだし、この先の延長戦にきっと夢は待っているはず。あれから17年‥‥長くもあり短くもあり。あせらず続けていくことなんだろうなぁ。今日も第三のビール飲んでます。

阪神淡路大震災10年の日に
 ※滝桜のてっぺんの枝が折れたのもこのとき。