東日本大震災学習会・連休7日目

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 早いもので連休中盤も終わりです。ダラダラばかりもしてられないと思い、今日は町が企画した「東日本大震災学習会」に参加してみました。
 早いってばこの東日本大震災こそ、明日でちょうど8週間、約2カ月となるんですねぇ。ということはまたあのときみたいな余震が来るのでは‥‥、今日か明日か、あるいは来週の5.11か‥‥、なんてことをどうしたって考えてしまうのです。
 そうした心配の一方で、いつまでもこうしてはいられない、前向きに具体的な取り組みを考えなければならない、そういう個々の思いはあると思うんですが、それなら町ぐるみで考えてみよう、という趣旨での学習会なのだろう、自分はそう思って臨みました。
 写真は神代桜で有名な山梨県北杜市の皆さんが送ってくださった応援メッセージです。義援金も含めてお届けくださったとのこと。ありがとうございました。

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〇三春町長あいさつ・概要
 受け入れていた避難者は、震災直後最大 2,000人を超えていたが、現在は富岡町の方々を中心に260人程度とのこと。
 また、今後は町内15カ所に分散して仮設住宅建設を進める予定だが、富岡町 500戸、葛尾村 400戸、合計 900戸というかなりの数になる。従って、然るべきルールづくりも必要になってくるわけだが、それは今後の課題として逐一すすめていきたい。

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〇玄侑宗久さんのお話・概要
・三春町福聚寺住職、東日本大震災復興構想会議委員
(1)震災直後の三春
 約120戸の被害等の中、避難者の受け入れ。放射線量による取水制限や安定ヨウ素剤の配付など、町独自の判断で対応してきた。
(2)復興構想会議3回の協議から
 気仙沼や石巻の様子をヘリで視察。惨憺たる状況に驚いた。しかし県庁(行政など)は比較的前向きに割り切っている雰囲気も感じる。原発を抱える福島とは違う。
 福島は、短期的・長期的課題が一度に迫ってきている。原発事故の一日も早い収束を願うばかり。
 国の責任で東電の管理ができないものか。政府もさまざまな組織を乱立してしまった。不透明性が強まりはしないかと懸念。一元化に向けた取り組みへの期待。
 遺体の埋葬が現実的に困難。土葬も少なくない。今後DNA鑑定をして家族に引き渡すような話もあるがそれも非現実的。地域ごとに慰霊碑などを建てる「鎮魂の森」構想も。
(3)故郷を置いて避難するということ
 戦時中は「疎開」という言葉を使った。今後さらに長く考えれば「移住」という言葉も考えられる。しかしそれでも「避難」としか使っていない現状。
 分散居住しながら、それぞれが元の自治体の町民であることを意識して生活していくことのたいへんさ。そのアイデンティティを保つためには厳格な自分たちのルールが必要。受入自治体側の深い理解も必要。
(4)原発存続・廃止
 計画停電をしながら不自由さや原発の必要性をアピールしたが、結局停止しても間に合っている現状。第2原発を断念。福島原発再開はほぼ無理。
 一方で、原発産業としての雇用はなくなる。自然エネルギーへの転換・確立と雇用への期待。
(5)生活再建へ向けて
 岩手や宮城は県知事から大胆な提案も。福島はそこまですすめない現実。
 しかし大きな意味でのリストラは始まった。被災者はさらにそれ以前の問題で、生活そのものを失ってしまった。
 災害救助法は本来、失われた生活基盤を取り戻すためのものであるはず。自助努力ではとても追いつかない。
 コツコツ努力するがあきらめも早い「モンスーン型」の東北人気質。多くが農業や漁業など最も自然と向き合ってきた産業に従事。天災に対する日常的な経験。しかし、人災をこれ以上つくらないためにも、権利を主張していかなければならない。
(6)放射能への不安
 農業は(三春では)OKとはなったけれど、果たして農作物がこれまでどおり売れるかというとその保障はない。土壌の1〜2cm下ではなく4cm下くらいの放射線量が高くなってきている。少しずつ下に降りているので土をおこさないことも一考。雑草も取り除かず生やしておいてもう少し後で引き抜くなど。保障は東電。
(7)三春として
 県の指示を待っていないで、三春町が先んじてすすめられることもあるのではないか。
 東北大学の協力を得て、それぞれの土壌を持ち込み線量調査を行い農業をすすめるような仕組みを考える。
 放射能を怖がりすぎないことも大切では。
 例えばバナナにも放射性カリウムが含まれている。煙感知器からも常に発せられている。ラドン温泉などは欧米では考えられないだろう。通常の10〜100倍の放射線治療で傷が治りやすいという研究も現実にある。そう言えば今年はツバキの花が多くはないか。そう言えば最近調子が良いような気さえする。(笑)
 放射能は確かに怖いものではあるが、この状況で生活していくためには「放射線ホルミシス」を唱えたラッキー教授の研究から、こうした感覚も必要なのではないだろうか。危機的状況にあってそれを誰も声に出せない状況なのだろう。大切なのはいずれにしても前向きに考えていくこと。

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〇長澤信方さんのお話・要点
・元東京大学教授、物理学
 東京にいると実際何が起きているのか分からない。正しい情報は何か、何とかならないのか、心配ばかり。たくさんの情報から正しいであろうと思われることをまとめてみた。
 ・セシウム137‥‥半減期30年→もっと早くなくす方法は現在の科学では無理なこと。
 ・ヨウ素131‥‥甲状腺に蓄積。予め安定ヨウ素剤を飲む。それ以上取り込まれない。
 ・外部被曝と内部被曝、γ線、α線、β線。
 ・半減期の短い放射性物質が検出=ごく最近発せられたことが分かる。
 ・ある程度の量に対しては自然治癒力がはたらくかも知れない。
 ・一定量を超えると染色体異常も発生するだろう。
 ・放射線防護の三原則=(1)遮蔽、(2)線源からの距離、(2)被曝時間短縮
 ・大切なことは、それぞれの専門家が知恵を出し合って取り組むこと。
 ・我々はそのための知識を、例えばこうした機会も利用して身につけ判断すること。
 ※東北大学理学部・田村裕和教授の紹介
   今後土壌調査等に協力していただく予定

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〇伊賀興一さんのお話・要点
・弁護士(大阪市)
 ・戦後、第1回国会で「災害救助法」制定。
 ・災害対策のための財政措置規定をもつ総合的災害救助法だった。
 ・昭36年伊勢湾台風‥‥災害行政は土木行政に変質。
 ・やがて厚生省所管となり一時的応急救助法に格下げ。
 ・そうした状況で阪神大震災。当時政権は「生活再建は自助努力が原則」と言い放つ。
 ・生活再建支援法立法運動は必然だった。
 ・震災後3年半経って「生活再建支援法」が法制化された。

 ・現行の原発賠償法で対処できるのか、甘んじていいのか。再建不可能ではないのか。
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 ・何があれば生活再建の礎にできるかを明確にして声に出すことが大切。
 ・こうした学習会は他では見られない。→ここから始め、広げていくことが大切。

 東日本大震災、福島原発事故は、不可避的に、阪神大震災の生み出した生活再建支援法の不十分さを再点検し、日本のあるべき災害制、原発法制の確立を要求するものである。
 ※支援・協力のため、会場には大勢の弁護士関係者が参加してくださっていた。

〇富岡町の現状報告・要点
 ・3号機・4号機で約1,000人(約8人に1人?)が原発関連の仕事に就いていた。
 ・全町民が避難。約100戸が被害。死亡5名・不明8名。
 ・避難指示以降これまで14,451人/15,916人(当時の住民台帳)90.79%の安否確認。
 ・県内に8,134人、県外に6.317人が避難。現在避難所には2,060人。
 ・三春町内には、町体育館76、沢石35、三春の里119、いぶき32、計262人が避難。
 ・他に、郡山市1,200人程度、大玉村300人程度、その他約30カ所など。
 ・仮設住宅、三春町500、郡山市300、大玉村630、いわき市120戸などを計画。
 ・アパート等の借り上げも1,500戸を計画。仮設と合わせ世帯の60%分を確保。
 ・役場機能、郡山市・ビッグパレットふくしま→三春町へ(仮設の状況をみて)
 ・就労支援、ハローワークとの連携、復興事業による就労など。
 ・情報提供、町内など一部には紙ベースで提供→町外避難者へもHPや携帯で拡充。
 ・若い人たちの意見を聴きながら、町の復興を目指していく。

〇大熊岡町の現状報告・要点
 ・3/12〜4/3までの避難受入に深い感謝。
 ・地震直後、国道6号線から東側へとりあえず移動した。
 ・夜明けとともに不明者の捜索活動を仕様としていたのだが‥‥。
 ・すでに46台ものバスが準備されていて驚く。
 ・一定年齢の職員は残ろうとしたが逃げろと指示。直後にあの事故。
 ・4/4に会津若松市へ集団移転。避難所が多くて当初は対応しきれなかった。
 ・義援金や一時金も全て報道が先で、何も分からずてんやわんやの状態。
 ・会津に移りホッとしてか、PTSDやさまざまな病気も出てきた。これからが正念場。
 ・今後、我々一定年齢の職員は時期が来たら戻りたいと考えている。
 ・若い人たちはマチから離れ、しかし復興のノウハウを身につけて帰ってほしい。

〇意見等・抜粋
 仮設住宅建設など喫緊のことだからやむを得ないと思う。しかし町民は何も知らされていない。何も知らないのが現実。反対はないとしても町民の理解を求める必要はあるのではないか。
 今後は三春町に加え、富岡町、葛尾村の役場機能もできるとしたら、同じ場所に3つの自治体が存在することになる。どのような運営になるのか見当もつかないが、各自治体の連絡調整ができるような、常設の調整機関を設置するなどして対応しなければならないだろう。

以上。

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 あのへんにかなりの数の仮設住宅ができるんだって‥‥。我々の間では噂話程度のことでしたが、今日その場所を見てきたらすでに100戸近い仮設住宅の建設が始まっていました。早く早くと思っていたはずなのに、逆にそのスピードには少し驚きました。

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 別の場所も見てきましたが、アーチェリー競技場などに利用されていた緑豊かなこの場所は、すでに整地のうえ杭なども打たれ、間もなく始まろうとしています。
 こうした事態ですから最大限の支援を行うべきと思いますが、それでもやはり町民の理解は必要です。決して短期ではないのですから、安心・安全な生活をしていくためにはなおさら共通理解が必要でしょう。そう簡単にはいかないことも当然分かっているのですから、そこは逐一情報提供すべきだろうと思いました。

 伊賀さんが「他ではこうした学習会はあまり見られない。(ここだけのものにするのではなく)ここから始めて広げていくことが大切」とおっしゃっていました。ちょっと身震いしました。
 また、町が独自に放射線量調査の協力を得るような取り組みを始めたりもするようですが、国や県の後手後手な指示を待っていても仕方ないなとも思います。実際、文科省が校庭の利用基準を示して大騒ぎになったままです。大切なのはあれこれ議論して年間20ミリシーベルトという被曝量値を下げることではなくて、実際に被曝する量をいかに減らしていくかに尽きるわけです。また、危機感は必要ですが、楽天的な感覚も持ち合わせていなければと。危機感が高じ過ぎると逆に風評被害を招きかねないとも‥‥。
 結局のところ、市民の力が大切なんだと思いました。結束する力もそうですが、自分たちが判断して具体的な取り組み方を考える力もそうです。独自の判断・対応をするってたいへんなことだと思いますけど、町が町として町民を守るために決断することは、町民として理解しなければならないとも思いました。だからこそ情報提供は不可欠ですし、こうした学習会の意義はとても大きいと思いました。

“東日本大震災学習会・連休7日目” への2件の返信

  1. ご報告ありがとうございます。とても参考になりました。
    この会があるのを前日知りましたが、仕事があり参加できませんでした。
    テレビで見て知った阪神大震災の弁護士さんが来ると聞いたので、どの様な事をお話しするのか興味がありました。
    国が動かないなら自分たちでと思っても手だてが分からないので、救済のお手伝いをして頂ければ心強いと考えていました。
    「三春町に3つの自治体が存在する事になる」と読んで、ハッ!としました。
    そうですよね。なんだかゴチャゴチャにされそうな気がしてきました。
    今まで通りの三春町行政が営まれるのか心配になりました。

  2. 今日の新聞にもその様子が掲載されてましたが、結局は自分たちで取り組んでいかなければならないのだと思います。でも自分たちだけでは無理なことも少なくありません。申し訳ないけれど力を貸していただくしかない。それはおっしゃるとおりたいへん心強いことです。
    そしてやっぱり三春だけの取り組みでは限界もある。今後広がっていく、広げていくことが大切ですね。三春のことだけじゃない、、富岡や葛尾のことだけでもない、福島のことだけでも原発のことだけでも震災のことだけでもない、結局は日本全国誰にでも関わってくることだと思います。
    ひとつの町の中に自治体が3つ‥‥ホントにどんな行政がすすめられるのでしょうね。これまで以上に三春町民としての意識を高める必要があると思うし、これまで以上に大きな心が必要だとも思います。急な展開も予想されますが、きちんとした枠組みの中でゆる〜くやっていくのがいいんじゃないかなぁ。

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