震災5日目・希望のヒカリ

110315a

 昨日はようやくテレビを設置できたが、ケータイではやや難しいネット情報の収集ができるよう、今日はインターネット環境を提供することができた。テレビ同様当初からその必要性を感じてはいたものの、接続できない状態が続いていたのでどうしようもなかったのだ。
 が、たくさんの方々のお骨折りにより(例えばsoukakuさん)昨日サービスが復旧し、今日は必要な機材(と言ってもハブとケーブル)を自宅からひっぱがして持ち込んで、どうにかつないで利用していただけるようになった。文字どおり、これが希望のヒカリになればいいなぁと思った。

 いわき市内の大学に通っているらしい青年がさっそく使っていたのだが、書き込みなどができないことに落胆していた。教育上どうしても規制ががかかる仕組みだからやむを得ないと説明しながらしばし会話をしたのだけれど、印象としては「書き込み」=「会話」を求めていたようで、それがホントの会話によって少なからず目的を果たすことができたらしく、表情がずいぶん穏やかになったように見えた。
 ほんとうは体育館に置いていつでも自由に使ってほしたかったんだけど、物理的なことなどもあり校舎の方で時間帯も制限しての提供で申し訳ない‥‥という話を、もっと大雑把に別の利用者に説明した。が、コンピュータが商売だという彼は、ちょー高速ブラインドタッチの手を休めながら、使えるだけで充分ありがたいと言ってくれた。
 彼らがこの先どこでどう生きていくかはわからないけれど、ひと筋でも光が差すことを期待したいし、そういう姿に勇気づけられる自分には、どこかほんのりした明るさが戻ったような気さえした。

 早朝、実家の義父から電話があった。音信不通の親戚の安否を確認する方法をインターネットで探していたところ、災害伝言ダイヤルの存在を知ったのだそうだ。「171たす1たす‥‥ってなに?」とのこと。なるほど「それは“たす”じゃなくて“シャープ”だよ」と教えてやったのだが、折り返しまた電話。ところで番号はどこからかければいいのだと‥‥。
 インターネットで検索したからインターネット上にその仕組みがあるのだと思っていたらしい。もういい歳だからなぁ。それは、119番とか110番と同じように、今使ってるこの電話機からかけるんだと言ったところ、モヤモヤしてたものがすっかり晴れたような清々しい声になった。相当悩んでいたんだなぁ。
 そして3度目の電話。地震発生から5日目でようやく、然るべき場所に避難していることを確認できたらしい。おじさんたち大丈夫だったんだ、いやぁよかった‥‥。

110315b

 しかし一方で、1・3号機に続く2号機のトラブル、4号機での火災、それらが引き起こした大量の放射線による退避拡大指示‥‥。何も進んでいないどころか生活環境が次第に悪化する日々に加えてのことだから、すっかり悲観的になってしまう。
 追い打ちをかけるように、万一に備え安定ヨウ素剤を町民に配るとの防災無線連絡。さらになぜか役場職員が引き上げることに。さすがに「ついに来たか‥‥」と目の前が真っ暗になった。強い憤りと虚しさと‥‥。

 自分も地域に戻って薬を受け取らなければならない。40歳未満が対象だから自分は関係ないのだけれど、息子・娘の分はしっかり確保しなければならないと思ったのだ。が、すでにどちらも受け取っているとのことで一安心‥‥。
 すぐに飲まなければならないという安定ヨウ素剤。実際には自身の判断で自身のタイミングで(放射直後に)飲むものだとのこと。とりあえずは大量放射の報道以降早めにということだったらしい。
 誤解のないように言っておくが、役場職員が引き上げたのは、打ち合わせ、薬の配布対応、大量の支援物資整理などなど、業務上やむを得ない状況だったようなのだ。
 学校側の全面的な受け入れではなく、行政で受け入れ体育館だけの提供、というのがホントのところ。でも体育館という場所だけでは果たせない生活の機能があるわけで、消耗品や設備品の数々、電話とその取り次ぎ、場合によっては情報、鍵の管理、そして困ったときの対応などなど、表に出てこない部分の支援を実は学校側で対応してきた。
 なのに説明もなしにいなくなってしまうなんて‥‥と思ってしまったのだ。

 情報が錯綜して少々混乱気味ではある。現在の情報は量が多いだけで種類はそれほどではない。同じ情報を各局独特の言い回しで伝えるから、自分のような素人にはわかりにくいように思える。NHKだけ見てればいいと自分で思ってるくせに‥‥。
 逆に町からの情報がここには伝わってこない。だから勝手に落ち込んだり滅入ったりしていたのも事実‥‥だと気付いたような。もっと別の理由も実はあったり‥‥。

110315c

 まぁそれはそれ。
 イヤな雨も降ってきてさらに悲壮感が漂うけれど、避難者支援の拠点である福祉会館前では、各地から搬送されてきた大量の支援物資をいっしょうけんめい運び込む作業が続けられていた。深夜までかかるかもしれない。
 各被災地でさまざまなボランティアが繰り広げられているようだが、いろんな場所を実際に見るとどこで何をしたらいいか、何となくわかってくるような気がする。自分は案外こっちでそういう手伝いをした方が喜ばれるかも知れないとも感じた。
 そうやってみんなが考えながら何らかの行動に変えていくことが、支援であると同時に復興の始まりなんだろうなぁって思った。物資不足が深刻になってはじめて、ほんとうに必要なもの・ことが見えてくるような。
 これが恵みの雨であるはずはないけれど、暗闇の中に輝く明かりは希望の光なのかも知れない。停電している地域にも早くこの光が灯ることを祈るばかりである。がんばろう、がんばろう!

“震災5日目・希望のヒカリ” への4件の返信

  1. ご無沙汰しております。ご無事で何よりでした。
    自分は3/11、タイのバンコクにて地震の一報を一緒にいた仕事仲間の携帯ニュースから知りました。なかなか繋がらない国際回線と、容量を超えた接続の携帯キャリア、更には停電で不通になった固定電話のため、なかなか家族や親と連絡が取れず不安なときを過ごしましたが、何とか2〜3時間のうちには全員と連絡がとれたのが、不幸中の幸いでした。
    しばらく続くであろう、この状況、大変なご苦労かと思いますが、お体に気をつけて頂ければと思います。

  2. 毎日なんどもここに来て読んでます。
    だけどコメントは書いては消し書いては消し・・・。
    ばりっと元気になってもらえるようなことを書きたいのに何を書いてもダメダメで。
    hiromaruさんがきちんと地に足を付けて落ち着いて頑張っていること、頭が下がります。
    東北の人たちは今みんなそうなのね。
    原発だけでも落ち着いてくれれば。
    休息とって体に十分気を付けてくださいね。(私に言われても説得力が低いでしょうが)

  3. 先生くん、ご無沙汰です。
    皆さんご無事で何よりでしたねぇ。っていうか先生くんもお元気そうで。
    っていうか元気? 海外出張たいへんですねぇ。
    こちらは何とかやってます。がんばります。

  4. 凜々子さん、ありがとう。
    いやいやそのお気持ちがすごくありがたいです。
    自分ぜんぜん地に足付いてないの。やってるようでやってないなぁって
    思うことばかり。仕事柄やむを得ないところもあるんだけど、
    もっともっと何かしなくちゃと思うというか。
    でも、後ろで支援する人がいないと、前線でがんばる人がたいへんです
    からねぇ。あぁこれもとうほぐじんみでぇなどごだな。
    おっしゃるとおり原発なんです。
    これが落ち着かないことには、何も始まらないんです。
    日本各地、そして世界が、この惨事に学ばなければなりません。

コメントは受け付けていません。