どっさりいただいたエコキャップをpapaさんとこに届けてきました。もちろん職場でたまってたヤツも入ってます。他人のフンドシで相撲を取るわけじゃないんですが、要するにこういうことなんでしょうね、ボランティアの輪って。
自分とこで集めてたヤツは右側の小さい袋。黄色い袋が届くまでは、自分としてはずいぶんたまったなぁと思ってたんですけどね。たいした量じゃねぇんだと思いつつ大きい袋の方にドサドサッと入れて持ってみたら、けっこうな重さを感じました。ちょっとのことでも重みのある活動につながればいいですね。
こういう時代だから、すぐにわかる効果を望んだりする傾向が高いように思います。いわゆる「可視化」「みえる化」が当たり前になってきたような。
だからこういう先の見えない取り組みはともすれば敬遠されがち。っていうか関心を持たれにくい。労働組合運動なんかもそうですね。
何でもかんでも見えること、その結果としてしっかりした効果が現れること、じゃないとダメなんじゃね?的な意識が強すぎてもダメなんじゃね?と自分は思うんです。ややこしいですが。
結局のところ、見えないけれどもつないでいく取り組みをしていかないことには、何も進まないんですよね。みえる化は結果論ではなくて、見えるようになるための取り組みをどうすすめるか、だと思うんだな‥‥。
職場でエコキャップを回収する取り組みを始めて5カ月になりますが、多いとか少ないとか気にすることなく、小さなケースがいっぱいになったらポリ袋に入れて回収していました。が、いつの間にかケースの近くにポリ袋が常設され、誰ともなくケースからキャップを移し替えてくれるようになりました。
そのポリ袋がある程度になると持ち帰るわけですが、そうするとある職員が「じゃぁウチのも持ってきますから」と協力してくださるようになりました。
写真の黄色い袋も、いつの間にか何となく自分のところへ定期的に届けられるようになったものです。
自分の取り組んでる姿を見せようなんて思ってないし、これだけ集まったと報告するわけでもないし、「みえる化」なんて考えたこともない。でも協力してくださる方は何かが「みえる」から手伝ってくれるんだろうなぁ。
これでどれだけのワクチンになるのかわかりませんし、どこで誰がそのワクチンの恩恵を受けているのかもわかりません。が、いつかきっとそれも「みえる」ようになるんだろうなと思いながら、また続けようかと思うのです。
なぁんて、papaさんいつも楽しいお話しありがとうございます。
身も心も頭も、さっぱりしました。